テレビゲーム=オタク

テレビゲーム=オタクという図式がある。正確にはゲーマー(ゲームをする人)=オタクという図式なのだが、ゲーマーという言葉自体がある意味オタク用語なので、一般の人の脳の中では単にテレビゲーム=オタクという図式で成り立っていると思う。

テレビゲーム=オタクという図式は正しい。間違っていない。ただ、オタクというのは何もテレビゲームだけでなく、他の物事に対してもそれぞれオタクと呼ばれる輩が存在する。スポーツにしても恋愛にしても勉強にしても、オタクと言って良いくらいに猛烈にはまっている人達がいる。それぞれ「スポーツオタク」「恋愛オタク」「ガリ勉」と言ったりするが、ゲームの場合も同様にして「ゲームオタク」とか、略して「ゲーオタ」とか言われたりする。

スポーツや恋愛や勉強などのオタクは比較的健康と思われるが、ゲームの場合はそうとは言えない。ゲームオタクは不健康、不健全な生活をしている事が多い。

ゲームオタクがなぜ不健康、不健全なのかといえば、当然、テレビゲームそのものが不健全な体質を秘めているからだが、これは世間でも広く知られているように、テレビゲームが部屋にこもって同じ姿勢のまま黙々と遊ぶ玩具であるという事、長時間夢中になりやすい事、集中力などのエネルギーを消費するため他の物事がおろそかになりがちな事、などが挙げられると思う。

多くの人は、ゲームに熱中する時代があっても、途中で虚しくなったり飽きたりして他の趣味や興味に鞍替えするようになる。いつまでもゲームに興味を持ち続けている人だけ、ジワジワとオタク化していく。

ゲームに興味を失う人が多いのはなぜなのか。それは「ゲーム=虚しい」「ゲーム=ダサイ」という図式が脳に芽生えるからだと思う。「ゲームをするくらいなら他の事に時間を費やしたほうが良い」とか、「ゲームよりオモシロイ事が世の中にいっぱいある」と考える人が非常に多く、実際それは正しい事だと思う。(単に忙しくてゲームをやる暇がないという人も大勢いる。)

ゲーマーには実際にダサイ人が多い。たとえばパソコン、ゲームのメッカともいえる秋葉原に行くと、原宿や渋谷を歩いているのとはまったく異なるタイプの人達が歩いている。オシャレとはいえないどころかあきらかにダサイと思われる人を見かけたりする。秋葉原に歩いている人が皆ゲームに興味を持っているというわけでないが、ゲームやパソコン、アニメ鑑賞などをする人達の多くが秋葉原にやって来ているわけで、総体的にダサイというのはまず間違いないかと思う。

ゲームにダサイ人達が集まりやすいのか、それともゲームをしていく内にダサクなってしまうのか。両方いえると思うが、個人的には「ゲームをしてダサクなる」という率のほうが高いという気がしている。

ゲームをしていると同じ姿勢のまま指先だけ動かしている事が多く、スポーツを趣味にしている人とはあきらかに筋力や筋肉のつき方に差が出る。筋力や筋肉が衰えれば当然見た目がダサクなる。目を悪くしているのに無理にゲームを楽しめば目姿も悪くなるし、長時間無表情でプレイしていれば表情の豊かさも減っていく。テレビゲームの遊びすぎで疲れた顔をしていればそれもダササの原因となる。

じゅうぶんに運動をしたり表情豊かにする機会が多ければ影響はないと思うが、1日は24時間しかないのでゲームに時間を費やせばそのぶん犠牲になる時間も多く、ゲームをプレイするぶんだけ他の事に力を割けなかったりする。ゲームで家にこもっていれば比較的オシャレなどに対しての関心も薄くなり、他人の目を「気にしなさすぎ」な拙いファッションをする事にもなりかねず、それがまたダササの原因となる。

カッコ良いカッコ悪いというのは微妙な差で、もともとがダメでもちょっとした工夫や心持ちでずいぶん変わってくる。どうしようもない人もたしかにいるけれど、ほとんどの人は後戻りがきくというか、別人みたくなる可能性がある。

テレビゲームに評価をくだすのもオタクが多い。つまりどういう事かというと、オタク受けするテレビゲームのほうがよく売れ、人気を得る事が多い。テレビゲームを製作する会社は、ゲームの主要購買層である「ゲームオタク達」を無視できない。

オタク受けするゲームとは一体どういうものか。オタク受けするゲームは、ある一定以上の「難易度」を要する。ゲームオタクはゲーム初心者とは違ってゲームに慣れているため、それなりの難しさがないと「やり応え」や「達成感」を感じない。ゲーム初心者にとって難しくて苛立つようなゲームでも、ゲームオタクにとっては簡単ですぐ飽きのくるという事がままある。

テレビゲームの評価はオタクがくだす事が多いので、初心者向けに製作されたゲームは不当に評価が低くなる。ゲームキューブで発売されたゲームでいえば、「ピクミン」や「ルイージマンション」は不当に評価が低い。しかしこれらの作品はゲームを初めて遊ぶ人にはこれ以上にないほど絶妙なバランスで作られている。非常に完成度は高いのだが、ゲームの主要購買層はオタクなので、「やり応えがない」とか「拍子抜けした」とかいう意見が大半を占める事となる。

当然売れ行きもそこそことなるが、これらの作品は「ゲーム初心者に遊んでもらってゲームの面白さを知ってもらう」のが目的なので、オタク達はただ単に非難し貶めるのではなく、「自分にはツマラナイが初心者向けにはよく出来ている作品」である事を伝えていく必要があると思う。初心者向けのゲームがしっかりと評価されなければゲーム業界はますますオタク化の傾向を強めていってしまう気がする。

「ボリュームがある(やり込める)」というのもオタク受けするゲームの条件である。オタクは常人の倍以上はゲームを遊ぶので、ボリュームがないと数日で遊び尽くしてしまう。いかに飽きのこないゲームを創るか、それはゲームクリエイターに課せられた指名ともいえる。

「飽きのこないゲーム」として今もっとも注目されているのは「オンラインゲーム」だ。オンラインゲームとは文字通り、世界各地のゲーマーがネットワークを通してオンラインで対戦したり同じ世界の中を一緒に旅したり、今までの「1人で遊ぶ」というゲームの形態から「ネットワークを通して複数人で遊ぶ」という双方向(インタラクティブ)な遊びをもたらしている。

なぜオンラインゲームが「飽きのこないゲーム」といえるのか。今までのゲームというのは登場する人物やストーリーのすべてが製作者の意図した通りに製作され、製作者の創造した枠組の範囲でしか遊べない、いわば「製作者の箱庭」といえるものだった。そういった箱庭式のゲームは、その箱庭内のすべてを探検し尽くしてしまえばそれ以上のものを得る事はできず、飽きてしまう。

オンラインゲームは、自分以外のプレイヤーが世界に介在してくるので、それが「不確定要素」となり、世界を面白くする。製作者の箱庭では製作者が意図した通りにしかキャラクターが動かないしストーリーも進まないので「不確定要素」とはなりえず、いつも決まった行動・展開を余儀なくされる(これが「飽き」を促進させる)のだが、自由意志をもつ他人が介在する事により、それぞれ独自の楽しみ方を展開でき、ワンパターンがだいぶ解消される。

オンラインゲームといえども一応は「製作者の箱庭」であるから、いつかは飽きがくる。飽きをこさせないためにはやはり製作者の努力やセンスが重要になるが、それさえ上手くこなせば何年も遊べる長大なゲームに育つ可能性がじゅうぶんにある。大抵のゲームは1、2ヶ月で飽きるような作りとなっているが、オンラインゲームの場合は先にも書いたように「不確定要素」が絡んで比較的飽きにくく、製作者側が長期的に遊んでもらう事を目標にゲームバランスを調整しているので、半年や1年、更にはそれ以上のスパンで遊べる可能性が大きい。

しかし話は複雑で、あくまで「不確定要素」なのである。「不確定要素」は、その多くがゲームが面白くなるようにプラスに働く事が想定されるが、逆にマイナスに働く可能性も考えられなくはない。

Final Fantasy 11(FF11)を例にしてみる。

FF11は人気のFFシリーズを基盤としたスクウェア初のオンラインゲームである。スクウェアは常に業界に先駆けて新しい試みをすすめていく会社で、今回のFF11もその一環として受け取られる。

FF11の批判としてもっともよく言われているのは、「遊ぶのにお金がかかる!」という意見だ。FF11を遊ぶにはいろいろと専用の機材が必要となり、一からすべて集めるとなると5、6万円はかかるといわれる。

「6万円も出してまでテレビゲームなぞ遊びたくない!」と批判されているわけだが、自分は実はこれは非常に戦略的かつ有効的な手段だと睨んでいる。

オンラインゲームを面白くするのは、各々のプレイヤーの「積極的かつ善良的な参加」といえる。やる気のない、だらだらとした、悪意に満ちた参加者は、ゲームをつまらなくさせる。そういった「いらない参加者」をふるいにかけるのが、この「高額の参加費」ではないかと思う。

お金をかけているから、元を取ろうとしたら1年、もしくはそれ以上遊ぶ必要がある。というより、それくらいの覚悟とやる気のある人がこのゲームに手を出すわけで、そうなるとゲーム内の賑わいは相当なものが予想される。月々にかかるお金もけっこう高めに設定されているので、やる気のない人は早々と退散するだろうし、元を取ろうとして積極的に参加する人も増えるという気がする。

「高額の参加費」はよほどFF11に好意的な人しか払わないだろうし、ゲーム内のフンイキは一定以上に保たれる気がする。あまりに安い値段に設定してしまうと、それほどFF11に好意的でない人も参加してくる可能性があり、「ツマラナイ」「面白くない」などといったウワサを安易に広められる可能性が想像に難くない。

ひとつ、何よりこのプランを成功させるために重要だったのが「FFの訴求力」である。FF程の人気タイトルであるからこそ、こういう戦略が通用したといえる。

オンラインゲームというジャンル自体が初心者には向かないオタク的なジャンルで、なおかつ参加費が高額な事でハイレベルなオタクだけがふるい分けられ、更にはFFというゲーム自体が元からオタク受けするタイプという事もあり、ある種のゲームオタクにとれば、かつてない最良のゲームになったやもしれない。この3拍子がそろったのは大きい。でもあまりに敷居が高いせいで、その域まで達していない半端なオタクからすると、まったく興味のないものになってしまった。

テレビゲームはなるべくオタクを減らす方向でがんばってほしい。オタクが減らなくてもなるべくそのイメージを払拭してもらいたい。テレビゲーム=オタクという図式がいつまでもまとわりつくと、ゲームが社会的に肯定される日がいつまでもやってこないと思う。

(他にも言いたい事があるので、またいつか続きを書くと思う。)



参考:「脱オタク・ファッション」マニュアル
参考:ゲーム中毒が人生を壊す←WIREDの2001年12月5日の記事
参考:蔓延する「ヘロインゲーム」中毒←ZDNNの2002年4月16日の記事

('02年05月19日制作)

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