ポケモンと自分(中編)

(まずはポケモンと自分(前編)をご覧ください。)

インターネットを始めたとき、検索エンジンのYahoo!ですぐに検索したものの1つが「ポケモン」だった。検索するとたくさんのポケモンのHPが引っかかってきた。当時はブームの真っ只中で、どのポケモンサイトも大変な賑わいを見せていた。そんな中、自分がチェックしてみて特に注目したのは、とある2つのポケモンサイトだった。

1つは、「ポケモンだいすきクラブ」。

Yahoo!で唯一メガネマーク(Yahoo!のオススメサイトである事を意味する)の付いていたもっとも有名なサイトで、ポケモン好きならココを知らない人のない、素晴らしいサイトであった。このサイトは何にも増して巨大で、情報のボリュームがスゴイといったらなかった。自分はすぐに「お気に入り」に登録して、毎日のようにチェックしに行った。

もう1つは、「POKeMON Analysis」。

ポケモンのデータ解析をしていて、解析でしかわからないポケモンの興味深き「内側」を、とてもわかりやすく、そして面白く紹介していた。インターネットを始めたばかりの自分は、ポケモン関連においてこの2つのサイトだけを「お気に入り」に登録した。

「POKeMON Analysis(この先、PA と略す)」に初めて行った時、真っ黒な背景に「解析」などの当時の自分にはそら恐ろしい単語が並んでいて、ダークなフンイキを漂わせていた。自分はまだインターネットを始めたばかりでおっかなビックリしながらPAに訪れ、「ココの空気は怖いなぁ」「なじめそうにないなぁ」と感じたように記憶している。そういったフンイキもあってか、興味深い内容の割にそんな盛り上がっていない、静かな場所に(自分には)見えた。

2、3度ほど通ったあとだったか、あまり覚えていないけれど、とにかく自分が来てすぐの頃に、PAにとある掲示板が設置された。

その掲示板は「教えてボード」と言った。

今までに見た事のない変わった掲示板だった。まず、普通の掲示板と比べて、見た目が大きく違っていた。上の左隅に太い赤文字で「きっと誰かが教えてくれる…」と書いてあった。続いて緑の文字で「雑談もOK。ポケモンサイトなことを忘れないでね。」といった具合の事が書かれてあった。

書き込みの欄にはたった1つの小さくて横長なマスが用意されていた。名前を入力する欄さえ無い、シンプルなものだった。ズバリ言うと、1行のメッセージのみを投稿できる「匿名1行掲示板」であった。1行のメッセージを投稿すると、その1行のメッセージに対して1行のレスを付ける事ができた。

この掲示板は今までのPAのダークなフンイキに似つかない明るくキレイな色使いをしていた。管理人さんが自作したスクリプトという事もあって、個性的で手作り感のある、とてもセンスの良い掲示板だった。自分はこの掲示板を初めて見たとき、強烈なインスピレーションを感じた。この掲示板の登場と同時に、サイトのフンイキも柔らかくなり、以前感じたような「壁」を一切感じなくなった。初心者にも入り込みやすいフンイキになった。

この掲示板には楽しい仕掛けがたくさん仕込まれていた。たとえば、「投稿したコメントが勝手にポケモンに関する言葉に変化する」といった機能があった。「〜です。」という文章の語尾が「〜でちゅぅ。」というピカチュウ言葉に変化したり、ポケモンのアニメによく登場する何気ない言葉に反応して赤の小文字で「Hit! ○○」と面白コメントが付いてきたり、遊び心あるモノになっていた。他には、掲示板の背景がランダムに変化して、それも強く目をひいた。変化の確率が細かく設定されていて、「たまにしか見れないレア背景」というものが存在し、レアな背景が出てきたときはつい嬉しくなるような、レアな背景を見たくて頻繁にチェックしてしまうような、そんなフンイキがあった。他にも普通の掲示板とは異なる特徴が散りばめられていた。思わず投稿したくなる掲示板だった。

「名前なしで投稿できる」というのも投稿しやすかった。「教えてボード」という掲示板の名前とあいまって、初心者でも気楽に書き込めるフンイキができあがっていた。ネット初心者は掲示板に投稿するのに躊躇してしまいがちだけど、そういう不安を一切感じなかった。

この掲示板の登場は、その後いろんな人に影響を与え、大きな歴史を作り上げる事となる。

掲示板の登場と時を同じくして、幻のポケモン「ミュウ」をバグ技で出現させる情報もPAで大きく掲載された。ポケモンにそんなバグ技がある事をそれまで知らなかった自分はその情報に目を引き付けられた。すでにポケモンに飽き始めていた自分にとって、このバグ技の存在はポケモンの新しい遊び方を提供してもらったのと同義で、飽き始めていたポケモンを更に遊び倒す大きなターニングポイントとなった。

初期のポケモン(赤版、緑版)には非常に面白いバグ技が存在した。幻のポケモンを出現させる他に、アイテムやポケモンを増殖したり、ポケモンのパラメータを最強にしたり、いろんな事を自由自在にバグ技で操れた。バグ技といっても特殊操作が必要で、ある程度勉強して知識を得たり、バグ技を行う前の下準備のために数式計算をしたりしないとダメで、なかなか手間と努力のいるものだった。考えなくてもできるようにマニュアル化しているバグ技もあったが、本気でバグ技を楽しむにはマニュアル化したものだけでは不十分で、ある程度の勉強、特に16進数などの解析・改造にまつわる知識を強く必要とした。

当時の自分は、解析や改造といった類にはまったくの無知で、16進数などのゲームのプログラムに関する知識も何一つ持ち合わせていなかった。

PAで紹介された幻のポケモン「ミュウ」のバグ技は、PAの管理人である#z80さんがわかりやすくマニュアル化したもので、その内容は、ゲーム内に必要なものを準備して手順通りに行えば簡単にミュウを仲間にできるという、とても親切なものになっていた。自分を含む無知な人でもすぐにバグ技を試す事ができるので強烈に興味をひかれた。

バグ技を試して実際にミュウが出現したときには正直「オモシロイ」と思った。ミュウはゲーム内には登場せず、コロコロなどの雑誌の懸賞や任天堂の特別なイベントでしか配布されない貴重なポケモンなわけで、そういったポケモンがバグ技で簡単に出現するのだから、興奮&感動するのはある意味当然といえる。たとえそれがバグ技で作った「偽者」だとしても、「(バグ技は)オモシロイ!」と思った。

#z80さんのこの「ミュウ」出現のバグ技は、1つだけ気になる点があった。それについては#z80さん自身がその紹介のページにきっちり「このバグ技は不完全。完全なミュウを作りたかったら掲示板で訊いてね。」みたいな事を書き示していた。

はたして、最初に掲示板で「正確なミュウを作る方法」を質問したのは自分だった。今でも忘れないけれど、ダレよりも早く自分が「教えてボード」で質問した。

#z80さんからすぐさま返事があった。「hiwasaさんのページに正確なミュウの作り方が載っているよ」という意味合いの文とともに、そのhiwasaさんのページへのリンクを貼ってくれていた。

hiwasa's Home Pageは当時からすでに更新が止まっている、ポケモン研究の最古参のページで、今もまったく変わらぬ状態で放置されている。このページは、ポケモンのバグ技知識の教科書的存在で、ポケモンのバグ技を探求する者は避けて通る事のできない、ダレもが目を通すページとして確固たる地位を築いていた。管理人のhiwasaさんは自分が初めて行った時から今に至るまで一度も姿を見せた事がない。完全に放置状態であるが、そんな事はさして問題でなく、削除せぬまま放置してくれただけでもアリガタイと思えるスバラシイページである。

初めてhiwasaさんのページを見に行った時、正直かなり難しく感じた。ゆっくり、吟味するように、何度も何度も読み直した。何度も読み直して、実際に実験などを繰り返していく内に、ポケモンのバグ技の本質を次第にマスターしていった。

この「バグ技探求」は本当に楽しかった。知的好奇心を刺激されるというのか、新たな気持ちで「ポケモンの異なる側面」を掘り下げる事ができた。バグ技をするのにもそれなりの苦労と技術が必要なので、バグ技が成功したときの達成感も、たとえるなら、難しい手術に完璧な処置を施したブラックジャックのように晴れやかなものだった。「バグ技は下劣」とする風潮もあるけれど、これだけ苦労して計画的にバグ技を施すのであれば、そのバグ技で作ったポケモンを公式の場で利用するのでない限り、「許されるべき」と思った。

バグ技探求をしている間も、PAやだいすきクラブには毎日のように通っていた。掲示板ではオモシロイ意見が活発に飛び交っていたし、#z80さんが次々とオモシロイ謎を解明して、あっと驚くコンテンツを大量生産していた。「教えてボード」も大変な賑わいを見せ、自分のような初心者が大量に流入し、人気サイトへとじょじょに変貌していった。まさに「飛ぶ鳥を落とす勢い」で、ポケモンの圧倒的な人気と、この2つのサイトの管理人の才能とががっちりと組み合わさり、これ以上にない程に魅力的なページに仕上がっていた。

'99年のある冬(秋?)の日、#z80さんが欧州へ旅行に出かけるとかで、1週間ほどトップページを「休止バージョン」に変更している時期があった。トップページが非常にあっさりとしたデザインに変更されていて、ただ一面マッシロになっていた。そのマッシロなページの左上隅に、古い過去に作ったと思われる「アルプスの少女ハイジ マニアッククイズ」へのリンクが貼られてあり、その右には、1週間ほど旅行に出かける旨が記されていた。

マッシロなページには文章はわずかしかなく、あまりに空白があった。そんな時、「何か変だぞ…」と疑うのが人間の性(サガ)というものだ。ここに、性に従った1人の人間が居た。

マッシロなページの空白を暗転させてみると、はたして、そこには隠しページへのリンクが貼ってあった。そのリンクは、「教えてボード」のプログラムソース(スクリプト)へのリンクだった。

#z80さんは以前から、教えてボードのスクリプトを欲しがっている人がいる事を知っていた。実際に#z80さんの元に「欲しい」という旨のメールがたくさん届いていたようだし、自分も、メールを出さないまでも「この掲示板を使ってみたいなぁ」という思いを強くしていた。その、皆が欲しがっていた掲示板のスクリプトを、休止バージョン中にひっそりと公開してくれているのだから、自分には衝撃的だった。さっそく自分はダウンロードさせてもらった。

当時の自分は、ホームページというものを一度も作った事がなかった。正確に言うと作る気がしなかった。何か言いたい事はあっても、それを言うための場所を自分が気に入るように制作できそうになかった。

どういう事かというと、当時は掲示板といえばKENT WEBのスクリプトが大流行していて、ほとんどのページがここの掲示板を利用していた。しかしこの掲示板、まったく個性を感じず、それがまるで言論にまで個性を与えないようにも見受けられた。

ダレもが使用しているような掲示板を利用する限り、ダレもが言えるような事しか言えない。「あってもなくてもどうでも良い」「他に見たようなページ」に成り下がってしまう。それならあえてホームページを作らずとも、他の人の作った個性的なページに常連として力添えしたほうが良い。それが、かつての自分の考えだった。

そんな自分の前に転がり込んできた、教えてボードのスクリプト。

今までがウソのように「この掲示板のスクリプトを使ってみたい!ホームページを作ってみたい!」という気持ちが燃え上がって来て、それまでまったく無知だったHTMLとCGIの勉強をすぐさま開始、'00年1月に、とある芸能人のファンサイト開設への一連の流れにツナガッテイク事となる。

この教えてボードに出会っていなければ、今もまだホームページ作りに興味を持っていなかった可能性が高い。この掲示板の持つエネルギーを借りて自分は、今こうしてホームページを公開しているわけで、最大かつ最高の「キッカケ」であった。#z80さんのキマグレ(?)が、自分の今のネット生活の密かな礎となっている。

この教えてボードのスクリプト、実は配布用にかなり「機能削減」を施してあった。というより、オモシロイ機能はほとんど排除されていて、基本部分だけが残してあった。実はこれがまた、自分にスバラシイ影響を与える…。

そこらで配布されている掲示板のスクリプトは(見た事のある人ならわかると思うけど)プログラムが極端に長くて初心者にはまったくもって意味不明、解読なんて不可能に近い。その点、#z80さんの配布用教えてボードは、もともと短かったであろうプログラムが機能削減されて更に簡潔に短くなっていて、初心者でも多少勉強すればなんとか時間をかけて解読できる範囲のものであった。自分はある人物の助けを借りて、少しずつこのスクリプトに機能を加え、CGIの仕組を学んでいく事となる…。(それはまた後編にて少し触れる。)

飽き始めていたポケモンに自分を振り向かせ、遊び倒すキッカケをくれたこの2つのポケモンサイト。先にも書いたように、自分の今のネット生活の原点ともなっている。「ゴル」というハンドルも、だいすきクラブで利用していたハンドルがじょじょに短くなって現在に至っていたり、この2つのサイトから受けたインスピレーションは計り知れず、今も自分の中で生き続けている。

さて、時間を少し遡ること'99年11月21日。ポケモン待望の新作「ポケモン金・銀」が発売される。世間的にも大盛り上がりし、大変な馬鹿売れを見せ、ポケモンに新たな潮流が刻まれていく事となる波乱の時代の幕開けだった。その激動の時期に、自分は、驚くべき人物との邂逅を果たす事となる。それは、その後の自分とポケモンの関係に、おおいなる影響を与える出会いであった…。(後編に続く)

('02年08月06日制作)

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