モーニング娘。

モーニング娘。にはまったく興味がない。

興味がないけど、興味がないなりにチェックしているので書く事にした。

モーニング娘。については、テレビ東京のASAYANという番組で「モーニング娘。」という名前をプロデューサーのつんくが口に出した瞬間から知っている。その頃はまだASAYANを見ていた。

当時、つんくプロデュースの歌姫オーディションをやっていた。グランプリには平家みちよという女のコが輝いた。グランプリが決まるまで、最終審査に残ったメンバーが合宿などに参加し、それをテレビ番組らしく「お涙頂戴」な形に上手く編集して、盛り上げていた。盛り上げて盛り上げて、最終的に平家みちよがグランプリを獲得し、そこで一気にカタルシスを迎えたというか、「良かったねぇ」で終わりを迎えた。

…のはずだったのだが、なんとその次週に、最終審査に残ったメンバーのうち数人を呼び出して何やら「謎な展開」をし始めた。謎な展開の末にできたのがモーニング娘。だった。

自分からしたら「そりゃないだろ!」と思う展開であった。最終審査に残ったとはいえグランプリを獲れずに負けたはずのいわば「負け組」である。負け組であるにもかかわらず番組上ではグランプリを獲ったコとほぼ変わらぬ扱いを受けていた。

案の定というかなんというか、鼻差でグランプリを獲得した平家みちよよりも、「負け組の寄せ集め」のほうが人気が高く、デビューCDの売り上げでその差が激しく出る。グランプリを決定しようとしていた時点から、「ダレかが突出して優れている」といった感じではなかったし、どのコもあまり変わらぬ「どんぐりの背くらべ」といった様相だったので、グランプリとして1人で売り出した平家みちよがモーニング娘。より圧倒的に不利なのは目に見えていた。

もしグランプリを獲ったコが突出した才能をもっていたなら、たとえ多人数を相手にしても優位に展開を進めたのだろうけど、現状はまったく違った。日増しに平家みちよの話題が減っていき、モーニング娘。の話題一色になっていった。グランプリを獲った彼女には酷な話で、当時のASAYANを見ていた人なら「グランプリを獲ったコなのにカワイソウ」という思いを少なからず抱いたと思う。

自分が思うに、あの時に早めにプロデューサーのつんくが手を打つべきだった気がする。平家みちよが突出して輝いていたわけじゃないのだから、最終審査の寄せ集めをデビューさせてしまえばグランプリの存在価値が薄れるのが想像に難くない。それをあえてしたのだから、平家みちよも早い段階でモーニング娘。に合流させるべきだったのじゃないかと思う。

モーニング娘。の第二次オーディションは、経過はまったくテレビに流れずに結果だけを伝えていた気がする。突然、「モーニング娘。の人数が増える」という事になって、矢口真里、市井紗耶香、保田圭の3人が登場した。3人とも最初かなり神妙な面持ちをして小さくなっていた。矢口真里は今とは180度違っていた。

しばらくしてASAYANには飽きたので、第三次オーディションなどはまったく見ていない。後藤真希や第三次で参入してきたメンバーがモーニング娘。の人気を更に不動にするわけだが、そんな事は自分には本当にどうでも良かった。ただ、「平家みちよがカワイソウ」という一言に尽きた。モーニング娘。が活躍する程にその悲劇性が増してくる。

ASAYANに飽きた理由は、「1分で説明できる事を長々と1時間も引き伸ばすな」という理由である。一つの出来事をとことん引き伸ばして、番組の最後にようやく結果を見せる。結果が出るまでの過程をとことんクローズアップする姿勢がウケテイルのだろうが、自分はじょじょにそれに絶えられなくなってしまった。

ASAYANを見なくなってから後藤真希がメンバーに加わる。後藤真希が人気なのは不思議だった。たぶんASAYAN内で彼女について何か盛り上がりを見せたのだと思うが、彼女がメンバーの中で抜きん出ているようには見えなかった。

第三次オーディションでは、吉澤ひとみ、加護亜依、辻希美、石川梨華の4人が選ばれる。個人的に、第二次とその後の第四次の加入者に比べて圧倒的に個性を発揮していると(勝手に)思う。

吉澤ひとみ。最初見たとき今までのメンバーの中で一番カワイイ気がした。そう思って少し注目してみたけれど、2、3日で興味を失った。(またあとで解説する。)

加護亜依。最初見たときはどうでも良かった。今もどうでも良いのだが、このコの存在がモーニング娘。を更に強大にしたのは間違いない。メンバー内でも目立っていてオモシロイ。

辻希美。加護亜依の相方みたいなコ。最初見たときも今もどうでも良い。インターネットでこのコが「のの」と呼ばれてうるさく騒がれているのを見て、「異常に人気だなぁ」と思った。このコも目立っていて、モーニング娘。の強大化の一端を担っている。

石川梨華。最初見たときはどうでも良かった。今もどうでも良いのだが、この人はモーニング娘。の中でもっとも可憐な気がする。可憐というのも変だが、他のメンバーがギャーギャーうるさかったりボケていたりする中、独特の存在感をみせている。この人が好きでモーニング娘。を応援している人も多いと思う。

第四次は最終オーディションをたまたま見た。合格したのは、小川麻琴、高橋愛、新垣里沙、紺野あさ美の4人。小川麻琴は優等生タイプで、歌や踊りや演技などを一番上手くこなしていた。高橋愛はナンバー2。最終オーディションの風景で一番大きく取り上げられていたので最初から受かりそうな気配だった。新垣里沙は自分には予想外。似たようなコが多かったのに彼女が選ばれた。つんくが、「このコは将来美人になる。その将来性を買った」とか言っていたような気がする。紺野あさ美は歌も踊りもダメダメだったが、つんくが「ロックを感じる」とわけのわかんない事を言い出して一番最後に合格を決めた。「ロックを感じる」というのはなんだかとてもコジツケに感じた。自分はこの4人にはまったく興味がない。

吉澤ひとみに少し興味を持ったとき、ファンサイトをのぞいてみた。のぞいてみてまず思ったのは、モーニング娘。系のサイトは独特のノリがあるという事。「これは自分がチェックする対象ではないな」と思ってチェックする気をなくした。

独特のノリにはいろいろと理由がある。思いつく事を書く。

まずひとつは自分自身が今までまったく別のタイプの芸能人をチェックしていた点。これがノリの違いをあからさまに感じる要因となった。自分はどちらかというとモデル系を中心にチェックしていた。この2つはまったくノリが違う。ファン層が違うのだから当然といえば当然の話。

次に、モーニング娘。はメンバーが多く、そのメンバーの中で好きだの嫌いだのしている人が必然的に多いという事。モーニング娘。のダレかを好きになって、そのうち好きでなくなったらまた別のメンバーを好きになって…といった具合に、メンバーのみを対象にして好きだの嫌いだの言っている人が多い印象を受けた。たとえメンバーのうちダレか1人にしか興味がなくても、他のメンバーやモーニング娘。というグループの存在はなかなか無視しづらいものがある。基本的にはモーニング娘。の全体が好きでないとやっていられない。ある種のカテゴリーに括られてしまうといった感じで、それはたとえば「つんくファミリー」というカテゴリーだったりする。

そしてもうひとつ、モーニング娘。のモデルとなった昔のアイドルグループ(おニャン子クラブとかいうグループ)の存在が独特のノリに影響している気がする。そのグループについて自分はほとんど何も知らなかった。モーニング娘。のメンバーが増えてからそのグループと比較する記事を多く目にするようになり、それをキッカケにして少し知識を得た。

そのグループには工藤静香や渡辺満里奈が在籍していたらしく、モーニング娘。のようにメンバーが増えたり減ったりしていたらしい。その「おニャン子クラブ」をマネた形でモーニング娘。が存在するので、おニャン子クラブのファンだった30代半ばあたりの世代が、同じ形態のモーニング娘。のファンになりやすいという話を聞いた。

'80年代のアイドルの成功モデルを借りて成長したのがモーニング娘。というわけで、だからこそ、他のアイドルとはケタ違いに広く世間に認知され、「よっすぃー」とか「あいぼん」とかちょっとはずかしくなるような呼び名が普通に飛び交い、普段あまりアイドルに興味のないタイプの人も気軽に興味をもち、オタくさい人と一般のフツーの人が混在し、だからといって破綻をきたせず、上手いバランスでファンが成り立っているのだと思う。

結局のところ、自分がモーニング娘。を応援しないのは、タレント自体にさほど興味がないのと、現存するファン層の枠に自分がそぐわないのと、その2つの理由からである。ファンのノリについていけそうにないとすぐさま感じたし、そう感じてしまった場合は、実際に応援しても上手くいかない気がする。

内には入りたくはないのだが、外から見る分にはとてもオモシロイ。実は自分は、モーニング娘。は好きではないがモーニング娘。を応援しているファンの人達、特に「モーオタ(モーニング娘。のオタク)」と呼ばれている人達の事はけっこうチェックしている。

モーオタと呼ばれる人達はスサマジイ。モーニング娘。が絶大な支持を得ているせいなのか、他のアイドルや芸能人には見られないくらいに「濃い人達」が応援している。自分はインターネットでその人達のモーニング娘。に関する評論、日記などを
たまに読むのだけど、これがとてもオモシロイ。

モーオタな人は自分自身がモーニング娘。のオタクである事、つまりモーオタである事をだいたい自覚している。そして、モーニング娘。のメンバーそれぞれに対し、これでもかというくらいに情熱的かつ論理的に文章を展開する。(自分がチェックしているモーオタな人がたまたまそういう人ばかりなのかもしれない…。)

モーニング娘。は人数が多いだけでなく仕事も忙しくこなしているので、1週間だけでも彼女らに関する出来事が山のように出てくる。モーオタな人はそれらの出来事をくまなくチェックし、日記にしたり評論にしている。ネタには困らないわけだからあとは情熱さえあればなんとかなるわけだけど、いくら情熱があるとはいえ毎日のようにモーニング娘。について書くのはスゴイ。そもそも毎日そんな情熱的だと、エネルギーを消耗して干からびてしまってもおかしくない気がするのだが、泉のように情熱が沸き出てくるのだからスゴイ。

自分は彼らの文章を見ると、(言い過ぎかもしれないが)ゲーテの「若きウェルテルの悩み」と同等の印象を受ける。これだけの情熱を傾けられるのは本当に愛しているんだなぁ…と、少しクサイけれど、感動すら覚える。ここまでの情熱をもたずして付き合っているカップルは世の中にたくさんいるのに。

「若きウェルテルの悩み」もそうだが、情熱的な語りにはある種の滑稽さを感じずにいられない。「そこまで褒めちぎるか!」とツッコミをいれつつ、「しかしこの情熱はスゴイな…」と思ってしまう。笑いながらも感心する。

たとえば、モーニング娘。が歌番組に出演したとき、ファンでない自分がたまたまそれを見たりした場合、「自分の見たあの番組はモーオタの視点ではどういう風に見えるんだろう」という観点で評論や日記を楽しませてもらえる。実際に見ると、同じ番組を見ていたにも関わらず、まったく視点が違うというか、自分が特に気にとめなかったようなシーンで彼らは脳をフル回転し、常人には受け取り難い膨大な情報を吸収しているのがわかって、「コイツラ…」と思わずにいられない。

彼らはモーニング娘。の一挙手一投足に一喜一憂するのだが、そんな彼らのリアクションで特に印象に残ったのは「ビストロスマップ事件」だ。

稲垣吾郎の例の事件で月曜夜10時から放送していたSMAP×SMAP(スマスマ)が1ヶ月くらい放送を休止し、休止明け1発目(それとも2発目?)に人気コーナーのビストロスマップのゲストとしてモーニング娘。が呼び出された。

自分もたまたま見ていたのだけど、最後、木村拓哉が料理対決に勝ち、加護と辻から、両方の頬にいっぺんにキスをしてもらっていた。加護と辻はキスする前にだいぶはじらっていて、見ていてかなり面白かった。

さっそくその夜、モーオタの評論、日記を見に行く。
一番楽しみにしていたサイトは更新されないままでいた。

しばらくしてからようやく更新された。そのサイトの管理人は熱狂的なファンであるだけに、2人のキスには想像もつかないような衝撃を受けたらしく、ショックでどうにもならない日々を過ごしていたらしかった。しかしそんな状態でもなんとか立ち直って、ビストロスマップの状況を克明に論理的に書き綴っていた。

その文章で覚えているのは、もし加護や辻ではなく吉澤や石川がキスをしていたなら、立ち直る事はよもや不可能だったろう、といった内容や、とはいえまだキスに対してはじらいをみせるような年齢のコに、キスをさせた番組スタッフの責任は重い、といった内容だった。他にもオモシロイ事を書いていたが忘れてしまった。

自分にとって何でもない「ただのキス」が、彼にとってみれば同時多発テロ事件並の衝撃として受け取られるわけで、自分はそのときも、笑いながら感心した。

自分はそういったモーオタな人の文章を読む事で、まったく興味のないアイドルグループに間接的に関心を払っている。関心は払っているが本当に興味がない。「関心は払っているが興味がない」というのも矛盾しているが、本当にそうなのだから仕方ない。

('02年04月18日制作)

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